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2017年7月9日日曜日

7月8日(土)京都きょうだい会例会の報告

参加者の構成(計12名)
性別:男性5名、女性7
年代:201名(学生)、302名、405名、501名、602名、701
居住:京都9名、大阪1名、兵庫1名、滋賀1
参加回数:初めて3名、2回以上9

1名が18時から18時半まで、入れ替わりで別の1名が18時半から参加されたため、会場には11名の参加者がいる状況でした。
4歳の子どもさんと一緒に参加された方もおられました。



今回の例会では、親なき後の障害のある兄弟姉妹の生活の場に関する話題について、特に、就職や結婚により実家から遠く離れた場所で生活している(生活してきた/生活する予定)の30代~70代のきょうだいの体験や思いを中心に話が盛り上がりました。

ざっくりまとめます。

・「親心の記録」(日本相続知財センター)について、きょうだいから親に書いてもらうようにお願いする時の伝え方に悩みがある。きょうだいが親役割を積極的に引き受けたいと考えているのであればともかく、そうではない場合、きょうだいから親にお願いすることで積極的に引き受けたいと考えていると誤解されたら困る。

・「親心の記録」について、親が50代だったらまだ書いてくれないかもしれない。急逝するかもしれない可能性なんて全く考えていないから(きょうだいはその可能性に常に怯えているのに…)。一方、70代だと生々しすぎて、現実と向き合うのが怖いのかもしれない。

・きょうだいの立場としても、70代の親に対し、面と向かって親なき後の話題を出すことには抵抗がある。本当は、親自ら考えて行動して欲しい。

・親に面と向かって話しても、核心に触れると「お母さんが悪いのね」と言って感情的になるから、建設的な話し合いにならなくて困る。また、親が自分に対して優等生のきょうだい像を求めてくるため、本音が言いにくい。

・実際に親なき後を迎え、実家を引き払った場合に、自分の結婚後の自宅が障害のある兄弟の帰省先になるのは抵抗があるし、違和感もある。

・(※性に関する話があります。苦手な方ごめんなさい)
実家暮らしの頃、家族で食事をしていた時に、障害のある兄弟がパンツをおろして男性器を触り出したり、そのことに対して親があまり怒ってくれなかったり、という体験等をしている。トラウマにもなっており、親なき後に自分が親代わりを引き受けることは到底考えられない。

・障害のある兄弟は自分の意思を伝えることが苦手。本人は、これまで福祉サービスを利用せずに地域で生活してきたため、福祉の支援者に慣れていない。親なき後を迎えた場合、本人が支援者に意思を伝えることができるようになるまでは自分の家で引き取り、意思を伝えるための練習をしてからその後のことを考えたい、という思いもある。そのことに対し、夫は理解があるが、子どもがどのように感じるかは心配ではある。

・親なき後も生まれ育った地域でそのまま生活してもらった方が良いのか、自分が住んでいる地域に引っ越してきてもらった方がいいのか、葛藤がある。

・福祉に関わる仕事をしていると、事業所の内実が耳に入ってきてしまうこともある。「ここの事業所には安心して任せられるけど、ここの事業所はちょっと・・・」と感じてしまい、余計に判断に迷うこともある。

・親なき後、障害のある兄弟が継続的に投薬できる環境を保てるかは気がかり。グループホームに入るという選択肢は想像しにくいので、別の方法を考えたい。今は、障害のある兄弟が住んでいる地域に近い場所での人脈づくり等に力を入れている。

・(20代前半のきょうだいから)話を聞いていても、自分事としてピンとこない。今は将来に対して不安にもならないし、どうにでもなるだろうという気持ちが強い。


・・・などなど、様々な体験や思いが語られました。
きょうだいによって、自分が引き受けることができる限界ラインに違いがあることが、改めてよく理解できました。


あと、障害児者の支援に関わる仕事をしているきょうだいが、自分の家族の状況と照らし合わせて葛藤する、ということも話題に挙がっていました。
今回はあまり掘り下げることができなかったのですが、このテーマで話をしたい参加者が集まった時には、また話題に出してもいいかもしれません。


2次会には、8名の方が参加され、遅くまで盛り上がりました。


以下、参加者の方に書いて頂いた感想です。
当日は慌ただしく、感想を書いて頂く時間を取ることができなかったため、全員ではないのですが、何名かに個別に依頼しました。


親亡き後の向き合い方で、3人の世代の異なったきょうだいの話が聞けた。きれいごとでない率直な話を聞きながら、心の中で自分の体験を振り返っていた。私の場合、妹は20才から施設に入所したので、親亡き後を心配しなくてよいと思っていたが、施設での生活が安定せず、一時は離婚して引き取ろうとまで思いつめたこともあった。
親亡き後の問題とは結局、成人した本人の生活の場も含めた支援をどうするかということで、福祉の貧困により先送りされて来た問題を親が引き受けざるを得ない状況から生まれて来たもの。きょうだいとしても、社会的に解決されなくてはならない問題だと考える。

今回は親なきあとについての語らいがあった。
既に親なきあとに向けて動き出せている人や、まだこれからの人など色んな意見があり、どの意見も考えさせられるものがあった。
きょうだいにとっての親なきあとは、親が自分のなきあとを悩むのとはまた次元の異なる深い悩みがあります。
きょうだいにとっての親なきあとについての事例集や課題、対策などの本や冊子があると、きょうだいにとっても、はたまた親にとっても少しは安心につながるだろうなぁと思いました。


〇〇さんの話を聞いてですが…障害のある兄弟姉妹がグループホームや施設への入所、福祉の支援を受けることに早いうちから慣れておいたほうがいいという意見をよく聞きますが、60歳を過ぎてからの環境の変化にも人は適応していくんだということを見せてもらったように思います(高齢者の場合も同じですが)。焦らなくてもいいのかなと思いました。
あと、△△さんのお話では、「きょうだいは親にはなれないけれど」という言葉を思い出しました。親御さん、兄弟姉妹と離れて暮らしておられるので心配かとは思いますが、親のように考え、動かれているのかな、△△さんがしんどくなければいいなと案じていました。

正直なところ、なんで私の話になったかなぁ~という気持ちが一番です。
私は母から「あんたはあんたの道だから自分の好きなように生きなさい」と言われて育ちました。
しかし、家族が生きていくために家業に縛られました。
“自分の好きなように”と言われてたのに自分の好きなようには行かない現実がありました。
私の場合、家業のことで腹が立ち、親は捨てたいと思ったことがあっても、弟は守りたいと思っていました。
なぜならば、弟は常に私に優しいからだと思います。
今回は親亡き後の話になりました。
私はその時々に自分にとってより良い選択をしたいと思います。
その選択に向けた準備はしていきたいと思いますが確かに目の前の生活に精一杯。
今は、離れている分、日常にきょうだいのことはほとんど入ってきていません。
元々母が弟のことで私に色々要求することはないです。
こちらが実家に状況確認して、大事にならないように対処しています。
私が20代の頃は、様々な制約はあれど自分の好きなことは貫き通す感じでした。
なので、むしろ母から「うちには障害者はいないんだ!」と憎まれ口を叩かれた方です。
自分が幼少期、10代、20代、30代、40代とその時々のステージで抱えるテーマは変わってきたと思います。
母が現在80歳の高齢なので、親なき後の前に母が動けなくなった時のことを視野に入れています。
その時になったら、状況も勿論変わるでしょう。今回は、改めて親なき後について考える機会になりました。
きょうだい会のきょうだい達は、その生い立ちも様々だから自分の話をするのに戸惑うことがあります。
だけど、私はきょうだい会だからこそ自分の気持ちが解放される場であったら良いなぁと思います。



★★★

京都きょうだい会・しろくま会(2030代のきょうだい会)今後の予定

7月22日(土)1417時 しろくま会カフェ
9月 2日(土)1821時 京都きょうだい会例会
99~10日(土日)京都でてこいランド12日交流会

詳細は、京都きょうだい会ホームページ「これからの予定」をご覧ください。


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