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2011年11月20日日曜日

11月12日きょうだい会から…

ブログ更新3人目…

こんな風にブログを書いている私も、
実は、京都きょうだい会の例会には、3度しか参加したことのない新入りです。

私の思っていることは、きょうだいのスタンダードからは、
もしかしたら離れているかもしれませんが、
少しずつでも、京都きょうだい会の雰囲気や、きょうだいの思いが、
ブログを通して伝わっていったらぃぃなぁと思いつつ…

この間の、11月12日の きょうだい会 の感想を少し☆


12日の会では、
「『きょうだい』とか『障がい』とかの言葉を、何度も聞いていると、
自分から進んできょうだい会に来ているはずなのだけど、
だんだん『もぅいいやめよう』っていう気持ちになるときがあるんです」
というようなことをお話しました。


私が20代で、ちょうど家族やきょうだいから離れたい時期だからかもしれませんが、
「きょうだいだからって、そこまで障がいのことに向き合わなくてもいいんじゃない?」
と思うとき、結構あります。


障がいを持つ子が生まれたら、その子が成人するくらいまでは、
養育する責任は、一定、親・家族にあると思うけれど、
成人した子の生活に、親や、まして"きょうだい"が責任を持つ必要なんて無い。

でも、現実には、親や"きょうだい"が担わざるを得ないところがたくさんあって、
「なんでだよ!」「面倒くさいよ!」と思うんだけれど、
そういうことを言うのは、なんか薄情な姉なんじゃないかと思って、
「きょうだいだからって、………」になります。


そんな話をしたら、きょうだい会のメンバーさんは、
「"きょうだい"は、"きょうだい"であることが全てではないよね」
「"きょうだい"が、障がい者のケアの専門家になってしまうのはもったいないね」
というような言葉を返してくれました。


「きょうだい」が、たまには、というか基本的には、
「障がい」から離れて、自分自身の生活を楽しんでいることが、
結果的には、障がいを持つ妹の世界・社会とのつながりを広げることになるんじゃないか…
と、つい語り口調になってしまいましたが、前回の例会の話の中の一幕です^^

(Y)

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