京都きょうだい会ホームページに移動

2023年9月26日火曜日

9月9日(土)京都きょうだい会例会のご報告

 参加者:計12名(対面にて)

 性 別:男性9名、女性3名

 年代別:20代2名、40代3名、50代4名、60代1名、70代2名

 居住地:京都府9名、大阪府2名、滋賀県1名

 参加回数:初参加者4名、2回以上8名

 参加者の立場:きょうだい8名、親3名、学生1名

 障がい種別:知的障がい、身体障がい、発達障がい、精神障がい



例会が近づくにつれて初参加の申し込みが重なり、心苦しかったのですが一部の方には参加をお断りした事態となり、申し訳ありませんでした。次回には是非参加をお願いしたいと思います。
初参加者の中には、父親を誘って参加されたきょうだいの方や卒業論文協力の依頼に来た学生さんもおられました。
今回は、相談先が分からず困っているという話題は出ず、「障がいのきょうだいを持ったことでぶつかった体験を振り返り、きょうだいとしての自分をどう受け止めればいいのか」といった心理的な話題が中心となりました。親子関係についても、これまでになく掘り下げられたように思います。

特に印象に残った発言を拾ってみますと
・周囲から良い子を期待され、強く見せている自分と現実の自分とのギャップを感じ、長い間自己肯定感が持てず、苦しんで来た・・・
・きょうだいとしての体験を含めて様々な逆境を乗り越え、常に戦闘態勢に入って生きて来た。しかしそんな自分の中にある「認知の歪み」が最近気になり、何とかしたいと思っている・・・。
・今まで気づかなかったが、親として初めてもう一人の子どもであるきょうだいの苦悩を知る機会を得て、今日は貴重な時間だった・・・。
・親の立場の人の声を聴けて、自分の親のことに想像をめぐらせる機会となった・・。

など、胸の奥に閉まって来た言葉が続き、孤独な立場に追い込まれている障がい者家族の姿が伝わって来ました。

これらをふまえ、自分を客観的な目で見直してみることや、自分自身の世界を大切にすることの大切さなど、体験に根差した様々な励ましや助言がありました。

そしてきょうだい会の歩みや意義、あるべき姿についても議論が及び、
・例会に来ると、自分だけじゃないと思える事がありがたい。
・きょうだい会は自分の荷物を整理する場所なのではないかと思っている。
・京都では40年の会の歴史があるが、前半の20年は試行錯誤の連続だった。きょうだい支援の大切さが取り上げられる時代になり、会のかたちが出来てきて、本当に良かった・・・。

など会をめぐっての話題が出て、「きょうだい会ってなんやねん」ということについても掘り下げられた時間となりました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参加者から以下の感想を頂いていますので、紹介をしておきます。

・今回初めて例会に参加させていただきました。私は10代の頃が一番苦しく、当時父は単身赴任で土日しか帰って来ず、母も平日は毎日遠くまで働きに出ていました。当時は兄に障害があると家族の誰も気付けなかったので、少年期までとても優しかった兄が変わってしまったことが悲しく、その兄からの暴力もあったので毎日が地獄のようで暗黒の日々を過ごしました。「誰かに助けてほしい」「相談したい」「兄のことを友人に打ち明けたい」と思っていましたが、母から「人に言わない方がいい」と強く言われ、友人や先生、周囲の人には誰にも言えず、隠していることも苦痛でした。毎日、心が悲鳴をあげているのにその叫びを強引に押し殺し、自分のイメージする「良い子」を演じ続けた結果、自分が本来の自分ではなくなってしまったという感覚になり明るい未来が見えなくなりました。
当時の私には「きょうだい会」のような安心して本音が話せる居場所や専門的な心のケアが必要だったと今、思っています。参加者の方の感想で「浄化されたような気持ちになった」と言っていただけて私自身もその優しい言葉に心が救われ、辛く苦しい気持ちを吐き出してもきょうだい会では温かく受け止めてもらえるのだと安心し、気持ちが軽くなりました。参加された皆様、本当にありがとうございました。今は自分の病気の治療に専念し、前向きに一歩ずつ自分の人生を生きていこうと思います。またいつか、皆様にお会いしたいです。

・参加して良かった一番のことは、同じ思いをしてきた人に会えたことです。自分はこれまで思いのほか孤独であったことに、改めて気づきました。
いつも「障害者の家族は、やさしく愛に満ちた聖人であらねばならない」プレッシャーを感じながら生きていました。不安や不満や愚痴をもらせば、「そんなふうに言ったらきょうだいががかわいそう」と言われた経験、思春期にグレかけた時には、きょうだいの障害者施設の園長から「障害があるきょうだいの分ももっと立派に生きなければならない」と言われた時以来、誰にもつらいと言えずに数十年きました。
正直に話していい場があるということ。それがどんなに心の平安につながるかということをきょうだい会のみなさんのおかげで知りました。
感銘を受けたこともたくさんありました。糸井さんと梅田さんが、きょうだいがお亡くなりになってからも活動をつづけておられること、参加者がいない月日が続いても、やめずに続けてこられたこと。ご自身の苦悩を越えて、ひとの役に立ちたいと考える、そのように至るまでのお二人の年月に思いを馳せました。わたしもいつか、そんなふうになれるまで成長したいと願います。
きょうだい会のみなさんはいろいろ熱い思いを秘めつつ、クレバーに冷静に討論されています。同じ思いをした人たちの冷静な意見を拝聴し、きょうだい会とは、自分を客観視できる場であると感じました。
また、司会進行のような役割をされる方もおられ、話題が偏りすぎないようになっていたり、いろんな立場のかたのお話が出るよう工夫されているところもよいなと思いました。

・きょうだい会は「今」の自分を見つめなおすきっかけの場だと最近考えるようになりました。参加した回を思い返し「当時」と「今」を比べながら、自分のこと、家族のことを自分がどう考えているのか、いたのかが見えてきました。きょうだい会に参加する前は全てがモヤに包まれて、正体不明の悩みを抱えてて、自分はしんどかったなと思い返しています。常連さんの「当時」と「今」の話をもっときいてみたいですね。

・40代後半の引きこもりの状態にある障がいの息子をもつ私は、いよいよ「8050」問題を突きつけられており、今や「終活」最大の課題となり、そのことは一日として脳裏から離れません。初参加の娘に促されて親の立場で参加させて頂きましたが、娘や他の参加者の方の話を聞いて、今更ながらきょうだいの悩みの深さに愕然とする思いでした。娘には「お兄ちゃんのことは気にせず自分の好きな道を行きなさい。将来もお兄ちゃんの面倒をみることなんて考えなくていいから。」と話してきたつもりですが、その言葉が逆にプレッシャーとなって娘を苦しませていたとは・・・。気付かなかった自分を恥じるばかりです。息子のことは色々な支援先に何度も相談はしてきましたが、本人の強い拒否により息子への直接の接触や支援には至らず、心が疲弊してしまいました。しかし、皆さんの話を聞き、再びあきらめずに行政の窓口に相談に行こうと思います。皆さんありがとうございました。

・障がい者の親なきあとをテーマに活動しており、親の立場プラス支援者や専門家という立場でも参加させて頂いております。今回は親の立場での参加が私を含め3名いらっしゃいました。きょうだい同士での語り合いはもちろん、親御さんも参加出来る環境が整ってきたのは、とても良い傾向だなと捉えています。

・きょうだい当事者の方やその親御様、支援者の方々のお話を直接自分の耳できくという機会は大学にいるとなかなか無いことだったため、とても良い経験となりました。「得体の知れない荷物」や「爆発物」「知ってほしいけど知ってほしくない」など、たくさんの印象深い言葉が残っています。今回させていただけた経験をこれからの自分に活かせるよう努力しつつ、きょうだい当事者の方に対して何かできることはないか、考えていきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は4人の初参加があり、どうなるものかと進行を心配しておりましたが、各運営スタッフの協力のもと、一体となり、良い雰囲気の会合になったと思います。その上、コロナ流行以来の創成期メンバーの参加もあり、2次会(懇親会)まで行って盛り上がりました。初参加の方々が今後も例会等に参加して下さる事を願います。

親の団体もきょうだいたちの声に関心を寄せる時代が来ているようです。全国きょうだいの会では、育成会や自閉症協会等各団体に参加を呼びかけ、10月29日に東京で親ときょうだいそれぞれが本音を語り合うパネルディスカッションを企画しています。
また前回参加した人から情報をメールで頂き、滋賀県でもきょうだい支援の取り組みを始めたいという人がおられるとのことでした。
きょうだい支援の取組が、少しづつですが進んでいることを心強く思います。

次回例会は11/11日(土)午後6時~9時にいつもと同じ喫茶みどりで開催予定です。
皆さんのご参加、お待ちしています。