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2017年9月9日土曜日

9月2日(土)京都きょうだい会例会の報告

参加者の構成(計10名)
性別:男性4名、女性6
年代:202名(学生)、302名、402名、501名、602名、701
居住:京都7名、大阪1名、兵庫1名、滋賀1名、
参加回数:2回以上10




今回は、珍しく初参加の方がいない例会でした。

挙がっていた話題の一部をご紹介させて頂きます。
(個人が特定されない範囲内で書いています)


◆差し迫ってきた「親亡きあと」

あるきょうだいの話。
もうすぐ90代になる母親と障害のあるご兄弟が二人暮らしだが、グループホームの空きがなかなか見つからない。
応募した時は、書類選考の段階で落とされてしまった、とのこと。

真実は分かりませんが、きょうだいの自宅と実家の距離が近いという理由で、緊急性がないと(誤って)判断されているのかもしれない、とのことでした。

今回の例会では、今まで相談してきた機関に何回も相談して緊急性を訴えたり、障害者地域生活支援センター等、他の相談先を増やす必要性について、改めて共有しました。

「きょうだいの自分が近くに住んでいるからサポートしなければいけないと思い込んでいたが、きょうだいも自分の生活があるため、できることには限りがある。障害のある兄弟の将来のことを考えると、福祉サービスに慣れていってもらうことも大切だよね」というお話もありました。

また、グループホームを立ち上げることも検討したが、スプリンクラーの設置等ハードルが高く、難しかったという話も挙がっていました。


◆親御さんが与えるきょうだい(会)への影響

きょうだい会の立ち上げに親の会が関わっている場合に、
親御さんの都合の良いように誘導されていたり、親御さんに聞かせていいことしか話せないきょうだい会になってしまうのは怖いよね、という話になりました。

また、親御さんの立場の方とお話させて頂いたときに、
「いやー、気を遣って近くに住まなくていいと今まで言ってきたのに、住んでくれているのですよねー(嬉しそうな表情を浮かべながら)」

といった会話に何回も遭遇しています。。

きょうだいの中には、“空気を読んで”(という表現が適切か分かりませんが)、自身の生活を選択されている方も、中にはおられるのではないかなと思いました。
(もちろん、自ら進んでサポートしたいと考えておられるきょうだいの方もいらっしゃると思います)


◆障害のある兄弟姉妹とともに歩む/歩まない

障害のあるご兄弟が好きで、積極的にサポートしていきたいと考えているきょうだいの方から、

「世間では、障害者をネガティブに捉えている人が多いため、きょうだいの“障害のある兄弟のことは嫌いで、面倒を看たくない”という思いは理解されやすいのではないか。どちらかと言うと、自分の方が理解してもらえていないと感じる。きょうだい支援界隈では、ポジティブなことを言おうとすると、“それは言わないでくれ”と思われる風潮があるように感じる。」

という問いかけがありました。

これに対しては、
障害の有無に関わらず、家族の世話をしたくないと堂々と宣言することは受け入れられていない現状があることや、
一部の親御さんや福祉職など、障害者本人の利益を最優先に考えている人たちの中には、
障害者本人に好意的で、積極的にサポートしたいという思いのあるきょうだいの方が、その人たちにとって“都合が良い”と思われているから、そういう人たちに対しては話しにくいということもあるのではないか、といった話にもなりました。

一方で、あるきょうだいの方は、福祉職の方から「きょうだいがそんなに抱え込まなくてもいいのではないか」という意見を聞き、きょうだいに対して理解があったことに衝撃を受けた、というお話もありました。

・・・などなど、様々な体験や思いが共有されました。


以下、参加者の方に書いて頂いた感想です。

20年ぶり?に伺いました。
みどり周辺も様変わりしていて、なつかしい例会でした。
母が高齢で体調を崩したこともあり、これからの兄の生活を考えています。
いろいろなお話が聞けて、またこれからも参加していきたので、よろしくお願いします。

●なつかしい久々の「きょうだい」の参加がまずうれしかった。
その「きょうだい」の悩みを聞いていくを中心とした今日の例会は、かなり「深い」内容と感じられました。
「共に生きない<きょうだい>」がいてもいいのでは、いう考えは、改めて「新鮮」に感じられました。

●当然のように思っていた「ともに歩む兄弟姉妹の会」という名称。
そのことに抵抗感を感じるきょうだいがいることに深くさせられています。
しかし、それは私自身の中にもあるんだと思いしらされています。
今後さらにきょうだいの関係というものを考えていきたいと思います。

●家族をめぐる話は、どうしても深刻になりますね・・・。
それでも、家族(障害者)とともに歩む、歩まないは、きょうだい自身が自由に選べるようになっていて欲しいと思います。
家族と距離をおくことが、もっとライトに語り合えるといいなぁと感じてます。

●ともに歩むとか、ともに歩まないかのまた別で、“きょうだいのことマジでどっちでもいい”派は少数派なんでしょうか?
むしろ、この会で言えないきょうだいにまつわる気持ちが増えていって自分自身驚いているし、自分も、この会も、なんて面白い(興味深い)んだろうと思ってます。

●「共に生きる」と「共にいきない」とを両方を考えることは大変イミがあった。

●今日の「共に歩まない」「共に生きない」という考え方についての話は大変興味深かった。そう考える方は、実は、共に歩む、あるいはきょうだいについてたくさん深く考えているのではないかと思います。
そのエネルギー、力の強さに感心いたします。

●自分がまだ危機感を持っていない問題もたくさんあって、自分はまだまだ人生をなめているなあと思いました。

●経験していること、経験してきたこと、見ているもの、見てきたものがそれぞれ違ってぶつかることもありますが、今回感じたザワつきから、自分の考えを整理していこうと思いました。


※例会で話される内容は、参加メンバーによって異なります。
お時間がある時に、過去のブログ記事も遡ってご覧頂けますと幸いです。


★★★

京都きょうだい会・しろくま会 今後の予定
9910日(土日)京都でてこいランド12日交流会
930日(土)しろくま会(2030代のきょうだい会)カフェ
1111日(土)京都きょうだい会例会

詳細は、京都きょうだい会ホームページ「これからの予定」をご覧ください。


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